勇気を持ってスピリチュアルなことを話しましょう
私は人生の大部分を、スピリチュアルなことを自分の胸の中だけに収めて暮らしてきました。 でも、今は、こうしてスピリチュアルなことをオープンに話せるのを嬉しく思っています。

私はスピリチュアルヒーラーの娘として生まれ、普通とは少し違った家庭で育ちました。 ホームドクターを持つ代わりに、母が自宅で、祈りやアファメーションで病気を治してくれました。 子どもの頃には、奇跡的なヒーリング、天使の出現、不思議で素晴らしい出来事などが毎日のように起こったものでした。

けれど、学校へ行ったり、友だちの家に行った時には、自分の家のライフスタイルのことを話さないほうが「安全」だということをすぐに学びました。 スピリチュアルな考えやそれを実践していることが知られると、子どもたちは、私をからかったり、目を丸くしたり、笑い飛ばしたりしたものです。 子どもの頃の友だちは、世間の物質中心のものの見方にどっぷり浸かっていたのです。 そのようなものの見方は、私たちは、外的な境遇や病気、他人の犠牲になるものだと考えることにほかなりません。

つまり、成功するには競争しなければならないという考え方です。 というのは「良いこと」は、みんなに行き渡るほど十分には無いと考えるからです。 これはまた、人と神を別個のものとして切り離す考え方でもあります。

そういったことから、物事がどのようにして実現するかという原理や、スピリチュアルヒーリングのことを話しても、冷ややかな反応が返ってくるだけでした。 始めのうちは、それがどういう意味か分かりませんでした。 とにかく、人々は平和で調和の取れた生活を実現するには、どのような心の持ち方をすれば良いかを楽しみながら学ぶのだと思っていました。 しかし、次第に私は、そのようなスピリチュアルな原理は、人々の考えからあまりにもかけ離れていて、それを利用するなどとても考えられないということがよく分かりました。
そういったことから、私はスピリチュアルなことは自分の胸の奥にしまいました。
私は、努めて何も言わないようにし、時には、人々の言うことに同調することさえありました。 人々が、人生は「ひどい」とか「不公平だ」とか口々に言う時は、私も真面目な顔をしてうなずいて見せました。 そのように振舞うことによって、私は快く受け入れられ、次第にみんなに好かれるようになりました。

しばらくすると、私は、記憶喪失になったかのように、スピリチュアルな考えを忘れるようになりました。 家でもスピリチュアルな話をあまりしなくなり、世間の物質中心の考え方に次第に慣れてゆきました。 それから私はクローゼットに閉じこもるようにスピリチュアルなことを胸の中にしまい込みました。 大人になって、意味深い出来事が立て続けに起こり、子どもの頃信じていたスピリチュアルな原理や考え方を思い出すまで…(これについては、著書 "The Lightworker's Way" で詳しく述べています)。

当時、私は、独立開業のサイコセラピスト(心理療法家)として成功していました。 しかし、セッションで、スピリチュアルな話はめったにしませんでした。 そんなことをすれば、受け入れられないかもしれないという子ども時代からの恐れがまだ心の中に残っていたからです。

けれども、執筆する本や、ワークショップだけでなく、ヒーリングを実践していく中で、スピリチュアリティについて指導することがどれほど大切であるかをスピリット(霊)の世界がはっきり教えてくれました。

自分が及び腰になるのを感じました。 確かに私はスピリチュアリティについて教えたかったし、スピリチュアルヒーリングの原理をヒーリングの仕事に取り入れたいとも思っていました。 しかし同時に、もしそのようなリスクを冒せば、私はすべてを失うかもしれないという恐れがありました。 収入も、名声も、仲間や友人も、そして、家族も…。

私は、神や、天使や、アセンデッドマスターと何度も話し合いました。 そして、ついに、隠れていたクローゼットから出て、スピリチュアルなことを率直に語る決心をしたのです。

まず最初は、こっそりと、つま先で外に出ました。 例えば、話のついでに神のことに触れたり、物事を実現させる基本原理やスピリチュアルヒーリングについて、クライアントに語ったりしました。 スピリチュアリティについて率直に語った結果、起こるかもしれない予期せぬ反応に、私は常に備えていました。 けれど、人々は私の話すことを肯定的に受け入れ、私が信じ、実践していることを、もっと深く知りたがりました。
ほんの1、2年のうちに、私はスピリチュアルなクローゼットから完全に飛び出しました。 自分の言葉を検閲しなくて良いということは、本当に自由で清々しいものでした。
今では、タクシーの運転手に、どんな仕事をしているか聞かれた時には、天使の本を書いていることを率直に話します。 また、お店の人や銀行の窓口の人たちとも、夢を実現する法則について、気軽に意見を交換したりもします。 当然ながら、どの程度まで話すかということについては、その都度、しっかり意識しています。

また、いつ、誰に、何を話すべきかについて、常に神に助言を仰いでいます。 私が出会うほとんどの人が、スピリチュアリティについて気軽に話します。 多分それは、私が自分の考え方を押しつけようとしないことが分かっているからでしょう。

つまり、私は説教師ではないのです。 私は、愛と光を世界中に行き渡らせたいと願っているライトワーカーです。 そして、私たちライトワーカーは、スピリチュアルな原理の細かい部分を議論するのではなく、愛情豊かで、平和な心でいるという本来の姿の手本となることによって、愛と光を世界に送るのです。
講演旅行中、スピリチュアルなことをまだ率直に話せない人々とも話をします。
そのような人々は、スピリチュアリティについて率直に話したいと思いながらも、社会に及ぼすかもしれない波紋を恐れています。 けれども、愛と光を広めるのに、肯定的に受け取ってもらえる何気ない方法もあると思います。

当然のことですが、スピリチュアルな原理を教える上で最も大切なことは「言動を一致させる」ことです。 平和について話し合うのなら、話す人自身が、心の平和を保たなければなりません。

また、天使のブローチやアクセサリーを着けたり、スピリチュアルなテーマを感じさせる服を着るなど、楽しい表現の仕方もあります。 スピリチュアルな本を持ち歩いて、話のネタにすることもできます。 会話の中に、スピリチュアルな言葉を散りばめたり、ポジティブで光にあふれる表現をさりげなく使うこともできるのです。
私たちは、愛のメッセージを絶えず外に向けて発信し続けてくれる創造主の子供です。
私たちの創造主は、耳を傾ける準備のできていない人がいるかもしれないという恐れや、政治的に公正で、みんなに受け入れられるだろうかという懸念から、愛のメッセージを検閲したり、手を加えたりすることはありません。 神はありのままのメッセージを送ります。 必要な人に、必要なメッセージが届くことをご存知だからです。 それなら、私たちの内部から湧き上がる声も、同じように必要な人のところに届くというのは、驚くべきことでしょうか。

スピリチュアルな考えを公表することで、どれほど多くの人の人生に肯定的な影響を与えるかは知る由がありません。 天使や、神の秩序や、物事の実現についての何気ないひと言が、誰かの人生を変え、スピリチュアルな道に導くこともあり得るのです。 そして、霊的真実を「聴く」準備のできていない人々は、私たちの言うことに興味を示さないでしょう。

いずれにしても、私たちは、心から真実を語るように生まれついているのです。 そして、それこそが、知りうる限りの最高の自由なのです。
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